一日も早いこの状況の収束を願う一方で、
このコロナ禍にあってなんとか感染しない・させない
新しい日常を、生き抜いていきましょう。
生き抜く、といえば
「がんサバイバー」という言葉をご存知の方も多いと思います。
動詞のサバイブ(survive)、
=「生き延びる」、に対応する名詞で、
サバイバーは「生き延びる人」。
「がんサバイバー」は、
がんを伴いながらも生きる人。
自らがんサバイバーをカムアウトし、
ブログやTwitterで発言している人も
たくさんいらっしゃるようです。
がんサバイバーという呼び名の語源は、
「がんサバイバーシップ」に端を発するそうですね。
「がん」と「サバイバーシップ」を関連づけたのは、
あるアメリカのお医者さんでした。
その人は、30代でがん患者となり、
自分の体験を文章にまとめました。
その中で、がん体験は、
「最終的に治癒したかどうかということで
表現できるものではない」、
と書いており、
さらに、がん体験は、
「本人が診断後を生きるプロセスである」
とも言っています。
繰り返しになりますが、
「がん体験は、
がんと診断された後を
生きるプロセス」。
この言い方は、私個人としても、実にその通りだと思います。
私たちは、人生のなかで、あるいは日常にあって、
いつのころからか、
高いか安いか、便利か不便か、〇か×か、
そういう二分法で、答えを急ぎ、
物事を判断しているように感じます。
病気のことでさえ、
治るのかどうなのか、
私たちは性急に答えを求めがちです。
それが知人のことでも、家族のことでも、
自分自身のことでさえ、自分だからこそですが、
結果を知りたい、未来を知りたい。
わからなくて、だから怖い。
診断によってがん細胞が見つかって、
「がん患者」にある日突然なりますが、
がん細胞は昨日今日急激に発生したわけではなく、
勢いを増したり弱まったりという
「プロセス」の過程にあるはず。
先述のアメリカのお医者さんはこんなことも書いています。
「生存率の向上を目指すばかりで
治癒が引き起こす諸問題をかえりみないのは、
溺れる人を水から引き揚げたあと、
咳こんで水を吐く人を
そのまま放置しているようなものだ」と。
病名や治療法やニュースに関して、
がんのことを検索したことは幾度となくありますが、
「がんサバイバー」
という言葉で調べてみると、
まさに「診断後のプロセス」の中に今あって、
「生きているよ」という生身の人たちがいて
どう過ごし、今日を生きているのかが
伝わってきます。
がんサバイバーシップ、という表現は、
がん患者の多様性をも含んだ言葉でもありますね。
いろんな人が、プロセスのなかで、
その人なりの生き方をしています。
そういう意味では私自身も、「診断後のプロセス」、
14年目になります。
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* 編集後記 *
サバイバル、というと
無人島のイメージがありますよね。
「無人島にひとつだけ、
何か持って行っていいとしたら、
あなたは何を持って行きますか?」
という心理テストのような質問があります。
何日そこにいるのか、どんな環境の無人島なのか、
Wi-Fiはあるのかとかそういうことを言い返してくる面倒くさい人もいますが、
そういうことじゃなく、
直感的に答えてみてください。
読みたかった本を持っていく、
犬を連れていく、
釣竿を持っていく。
人によって答えはさまざまで、
なにが正解というのではないのですが、
それをあれこれ考える様子や、
ちょこちょこ質問してくる様子で、
その人の、人となりが、
垣間見える質問なんだそうです。
将棋の加藤一二三さんは、
この質問をされたとき、
「羽生さん」
と即答したのだそう。
持って行く「モノ」、と言われても
「羽生さん」しか思いつかないのでしょうね。
おふたりが、南の小さい島の海辺で、
時の過ぎるのも忘れて将棋を差している。
なんとも、いい光景です……。
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